吉根よ、さようなら

吉根よ、さようなら

徳田百合子(会員・吉根)

 面積約213ヘクタールという大規模な吉根の土地区画整理事業が約23年かかってようやく最終段階を迎えた。それに伴って昨年11月末に町界、町名、地番の変更が行われ、長い間親しんできた吉根という地名が私の住所から消えてしまった。守山区大字吉根字笹ヶ根だったのが、守山区花咲台一丁目となったのである。ついでながら花咲台二丁目となったのは、宅地造成して研究開発施設を誘致しつつある土地なのだが、そのような土地と抱き合わせにして長い間居住し、その地名にも深い愛着をもっている人々の住宅地まで一挙に変えてしまうというやり方に私は黙っていることができない。

 私の友人の中にも長ったらしい町名がすっきりしたし、それにしゃれた地名になったねとのんきなことを言う人がいる。又、行政の側としても、住民の代表や区画整理組合の役員達によって検討した結果を回覧し、多数の賛成を得たのだから何の問題も無いと言うであろう。しかし私としては、最初の素案をまとめる段階で、住民の意見を聞くということをしなかった点が納得ゆかない。それをきちんとやっておれば地理的にも歴史的にも何の関係ないような地名を平気でつけるというような無神経な事態は避けられたであろう。

 新町名の素案が回覧されたのは平成16年2月のことであったが、私はそれより8ヶ月前から花咲台とか青葉台などという地名が浮かんでいるという噂をきき、すぐに区画整理組合長へ手紙を届けた。元からの地名を尊重して選んでほしいとの願いを書き、たとえば私の住所なら平池南か平池○丁目が望ましいと加えておいた。平池の歴史や地名の考察も同封しておいたので、検討のとき何かの参考にしてもらえるだろうと思っていたのである。それが何の音沙汰もないまま半年以上過ぎたある日、花咲台という地名が回覧されたのだ。そしてアンケート結果が賛成多数だから、それに決定するというので私は強く異議を申し入れた。他にも異を唱えた町が二三あったので再度アンケート調査が実施されたが、わが町はやはり花咲台に賛成が多数で結局それに決まった。住民の意見で素案が変更になったのは、八幡神社の鎮座する一帯が青葉台二丁目となっていたのが吉根南にかわったのと、東名高速道路東側にできた新住宅地が日の後一丁目とされていたのに対し、住民で話し合って泉が丘という地名を提案し変更が認められた二例である。

 この二例からよくわかったのは、生え抜きの住民の多い地域と、新しく引っ越してきた住民の多い地域とでは地名に対する意識が大きく違うことである。最初に新町名素案を回覧されたときの賛成率にそれがよく示されていて、興味深かったが、おそらく土地開発を長年仕事としてきた人々はそのようなこともよくわかっていたであろう。その上で今回のような住民感情を無視したやり方で実施されたのかと思うと残念でならない。23年前、開発一辺倒で見切発車した区画整理事業の体質をそのまま引きずっていると、あらためて感じさせられたのであった。





初出:『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第65号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2007年8月1日、6–9ページ。

注:本稿は、ちょうど12年前のものです。親しむ会創設会員で、以降長きにわたり世話人をつとめられた徳田百合子氏が、当会会報に寄せられた、いまの時点で最後の原稿です。「さようなら、吉根」と題されていますが、徳田氏が吉根の地を去られたわけではなく、徳田氏の住所から「吉根」の名称がなくなったことを意味しています。
※先頭の写真は、このホームページ掲載にあたって挿入した「イメージ」です。

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